【老い支度】年賀状=交友リストとはならない我が家の話

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11月1日から郵便局で年賀状の発売が始まったそうです。

年賀状印刷のテレビCMも見かけるようになってきて、年末の気配をひしひしと感じます。

私自身は新年の挨拶をメールやLINEで済ませているので、年賀状は縁遠い存在。

でも両親の年賀状作りの手伝いをしなければならないので、年賀状という単語を聞くと「もうそんな時期か~」と気忙しい気持ちになります。

手紙魔の父は文通相手も多く、現役時代には年賀状を500枚近く出していた時期もありました。
営業職でも自営業でもないのに、この枚数。

仕事だけでなく、趣味を通して知り合った人にももれなく年賀状を出していたので、どんどん枚数が膨れ上がっていったようです。

宛名書き担当の母と、印刷担当の私は、年末になると毎年大忙し。

一方、手紙を出すのも手紙が来るのも大好きな父は、一枚一枚に手書きでメッセージを書いてもまったく苦にならない様子でした。

そんな父も、近年はさすがに年賀状の枚数を控えるようになり、去年はついに100枚を切りました。

さてさて、今年は何枚になるのかしら。

年賀状

年賀状といえば、つい最近、父の部屋を覗いたときに大量の年賀状を発見しました。
平成どころか、昭和のものまで。

もしかして、いままで受け取った年賀状、全部取って置いているっ!?

収集癖があり、モノを捨てたくない派の父に、何度か終活の話をしてみたのですが、答えは決まって「俺が死ぬまではこのままにしておいてくれ」

本人が「捨てたくない」と言うのだから仕方がない。将来、私がやるしかありません。

「とはいえ、この量を片づけなきゃいけないのか……」と大量の年賀状に気が遠くなりかけた、のですが。

なんと父が年賀状の処分を始めました。

私が自分の不要品をせっせと処分したり、シュレッダーにかけたりしているのを見るうちに、何か思うところがあったようです。

「自分の片づけをしていてよかった!」と、このとき心の底から思いました。
行動から伝わることって、あるんですね。

昨日も、「ようやく昭和が片づいたから、次は平成だな!」なんて朗らかな声が聞こえてきました。平成は31年まであるので、これから31年分の年賀状を見返していくのでしょう。

いやはや、父の交友の歴史というべき大量の年賀状を、私が一枚一枚シュレッダーにかけないといけないと思っていたので、枚数を減らしてもらえるのは本当に助かります。

ありがたや、ありがたや。

年賀状

先日ネット上で、お父様を亡くされた方の「年賀状をもとに父の訃報を知らせた」という書きこみを見かけました。

この話、私には目からうろこでした。
「そうか、親しい人とだけ年賀状を送り合っていたら、そのまま交友リストとして使えるのか!」と。

父は友人知人が多いので、「訃報を知らせたい人の連絡先を、リストにまとめておいて欲しい」と頼んだことがあります。

年賀状は「おつき合い」で出し合っている人も少なくないようなので、親しい間柄の人は誰なのか、私にはさっぱりわからないからです。

ところが、縁起でもない話だからか、ただ面倒なのか、父はむにゃむにゃした返事をするばかり。

母と話し合った結果、ひとまず、「もしものときは親族にだけ知らせて、年賀状を送ってきてくれた人には喪中はがきを返そう」という結論になりました。

……いざ本当に「そのとき」が来たら、どうするのかなぁ。

今年も喪中はがきが届き始めました。
我が家も考えたくないけれど、考えておかないといけないことがたくさんあって、ちょっと気が滅入りそう。

そんなことを思っているうちに、はたと気づきました。

訃報を知らせる連絡先リストを作っておかないといけないのは、私のほうでは?

友だちの連絡先は全部、スマホの中。
うっかり私に何かあった場合、私の両親は友だちの連絡先を知る手立てがありません。

そういえば、スマホの「故人アカウント管理連絡先」も登録しておかなきゃと思って、それっきり。

気がついたときに、早め早めにやっておかないといけませんね。

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